大人になったモチえもん

レモン牛乳のサイクルジャージでどこまでもどこへでも

エンディングノートの1ページ

こないだ書いた記事がまるっと消えたので2日は凹んでました。

三日目にはもう凹んでいたことも忘れて普通に生きていました=͟͟͞͞ʕ•̫͡•ʔ =͟͟͞͞ʕ•̫͡•ʔ =͟͟͞͞ʕ•̫͡•ʔ =͟͟͞͞ʕ•̫͡•ʔ

そうそう、その調子!

 

ボンヤリと覚えているうちに書く。

 

ここ数年~最近、思いもよらなかった知り合いが亡くなっていく。

(人が死ぬのと結婚は、大体年齢順かなと思いつつ、たまに全く予想もしない順番でその知らせを聞いたりする。死と違って、結婚は必ずしもみんながするわけではないけど、たまに全く結婚しそうになかった人がfacebookとかで報告上げてるのを見るとびっくりしたり)

 

私とそんなに年変わらない人や私より若い人でも、病気で亡くなったり、突然家で亡くなっていたりとか。

その人が亡くなってから、家族が手続で困った話を聞いたり、まあとにかく色々なことがきっかけで、「死ぬこと」について考えるようになった。

 

うちの父親は昔の人だからというよりちょっとアレなので、終活の話(とかお金の話)なんてしようもんなら「縁起でもない」とか、下手すると「親に早く死んでほしいんか」とか言い出しかねないのでもうそこは口出しはしないことに決めている。

 

とにかく、そういうことが近年あったので、アマゾンで前に買ってから手つかずのエンディングノートを埋めることにしました。

(下のリンクはアフィリエイトではないので私には1円も入りません)

もしものときのエンディングノート: 江崎 正行 + 配送料無料

 

こんなの今書いても、こっから長生きしたらどんどん情報なんて古くなるんやけどさ。でもそれなら笑って「アホやなー、昔わたしこんなこと書いてるわw」って言えばいいだけやしと思って。

というか本当はそれがいい。エンディングノート書いたことすら忘れたころにぽっくり苦しまずに逝きたい(ピンピンコロリは理想が高いのか?)

時間あるときに書けばいいものをなぜか日曜日の真夜中に書き始め、月曜日は眠くて仕方なかった。

 

書いていていろんなことを考えた。とりあえず旦那に大体全部のことを託してやってもらうつもりまんまんなんやけど(特に病気のことや介護のこと)、私の友達のことは旦那はほとんど知らないなとか、私って本当に友達少ないんやなとかw

ある程度はページ埋められたけど、今の時点で書けなかった項目が3つありました。それが、

①自分の遺影に使う写真の希望

②自分の葬儀でかけてもらう音楽の希望

③残された家財道具・財産の処分方法の希望

 

難しいよねえ。こんなの死ぬ直前に自分ではじっくり検討できないと思うし、死んでから周りに決めてもらっても絶対私の希望とかけ離れたことになるから、元気に生きてるうちに考えとかんとあかんのやろうな。

 

で、気づいたのですが、私ってちゃんと(?)映ってる一人の写真がない。本当にない。大体チャリ乗ってるか、犬さわってるか。誰かと一緒に写ってるのばっかりでした。

まあ、葬儀会社もそこらへんは画像処理でうまいことやってくれるやろうから、私が変なジャージ着てようが、足元にいる犬の足が短かろうがそんなことは構わんのやろうけど。(本当に短い)

でもヘルメットかぶってアイウェアしてる写真はさすがに修正できないと思う。

一番気に入ってる写真は15年ぐらい前のやし←遺影を盛ろうとすな!

というか、ここ数年はマスクしてる写真ばっかりやねんね。

 

音楽は、別になくてもいいから必須ではないと思ったんやけど、具体的に説明しといてあげたほうが親切かな。特定のこの曲かけてっていうのは特にないんやけど。

 

財産も特にないし、死ぬころまでピアノと自転車を所有してるかもわからないしね。

モノではないけど、犬はどうするんやろうなとか、私は子供のこと悩まなくていいからまだ気楽なのかもとか、そういうことを色々考えた。

 

旦那がびっくりするくらい無信仰なので(旦那のお母さんの影響)、俺はお墓なんか作らない、樹木葬でいいんだ(※職場の近くに樹木葬の広告看板がドーンと出てるので100%それを見て言ったであろう発言)とか言って昔はもめたけど、もう今はそんなことどうでもよくなってきた。多分死生観やら宗教観なんて他人と一生分かり合えん。

 

色々考えると、「旦那には元気で私より長生きしてもらいたい」というのが結論です。