大人になったモチえもん

レモン牛乳のサイクルジャージでどこまでもどこへでも

しない善よりする偽善

前回の日記から続いてるわけではないけど。

ボランティアをやろうと思ったきっかけからちょうど今日で10年。

 

2011年3月12日、震災の翌日にmixiに書いてた日記をまるっとコピー。

※当時は大阪で働いていた

 

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地震と大津波で被災した方々にお見舞い申し上げます。 


一瞬にして当たり前のことが当たり前でなくなった昨日。 

昨日の仕事中、「ねえ…揺れてませんか?」って隣の人としゃべってた。 
結構揺れが続いたから、乗り物酔いしたみたいで気持ち悪いねーって。 
でもすぐに頭に浮かんだのは「これ、震源地どこなんやろう?」ってこと。 
多分もっと揺れたところはあるはず、それがもしかすると和歌山だったりして、南海大地震だったらどうしよう、なんて考えてた。 
テレビすぐつけて、東北の津波の様子見て。 
もう言葉が見つからなかった。 
不謹慎で申し訳ないけど、リアリティーがなさすぎて、映画みたいに思えた。 

私は仕事がたまってたから一旦テレビ見るのやめて机に戻ったんで、その後別の大地震が起きたことは知らなかった。 
首都圏でみんなが足止め食らってたことも。 

祖父母が和歌山の海沿いに住んでるから、津波が心配ですぐ電話かけた。 
たとえ大津波が襲ってきたって、足の悪いおじいちゃんにはなすすべもないし、おばあちゃんはおじいちゃんをほっぽって逃げる人ではない。 
そもそも彼らの住む場所の近くには高台というものがない。 

仕事終わって、ひとまずミクシィでマイミクさんたちが無事なのが分かって一息ついた。 
福島にいた友達も元気そうで何より。 
そして私自身の安否を気遣う友達とかホストシスターもfacebookで海外からメッセージを送ってくれました。 
だけど、先月スパショに一緒に行った友達からメールの返事が来ない。 
単に「無事だよ!でも携帯使えなくて不便でさー!」って笑い話で後でメールが来ることを祈っています。 
どうか無事でいてほしい。 

被災したおばさんが、夫と子供が津波に飲み込まれたとTVのインタビューに答えていて、その後 
「ひとりぼっちになってしまった、みんないなくなってしまった」 
とせきを切ったように泣き出したのを見て私も涙をこらえられなかった。 

若くて健康な人はまだ携帯もネットも使いこなせるし、家族や知り合いが周りにいる人はそこから情報も入ってくると思う。 
でも… 
お年寄りは?体の不自由な人は?外国人は? 
私の講座に災害ボランティアが研究分野の先生がいてはるし、私自身「医療通訳士協議会」ていうNPOの事務局代行(電話受付)みたいな仕事もやってるんやけど、週明けには電話が鳴りやまないんじゃないかと思う。 

本当は私にも何かできることはないかと歯がゆい気持ちやけど、もちろん災害ボランティアの知識も経験もなく、通訳できるほどの技量もない自分が足手まといになるであろうことは火を見るより明らか。 
だから、少し日をあけてからの献血とか、募金という形でせめて支えになりたいと思う。 

もう地震津波も起きないで…!! 

 

コピーここまで

 

あれから10年経った。

私はありがたいことに仕事があって、家もあって、家族もいる。

一応衣食住は不自由していないから趣味も作って楽しい余暇を過ごすことができてるけど、困ってる人の力になったり、人手が足りない組織のお手伝いができればなとずっと思ってた。

自己満足かもしれんけど、誰かの役に立ててるならいいやんと思う。

 

何年か前、ロードバイク買うと決めた頃に、某ロードレースのボランティアスタッフ募集があって、それは結構本気でやりたいと思った内容やったんよね。

それで、せっかくロードレースのボランティアをやるんだからと、自分でも乗ってみたいなと思ったのも事実w

そのボランティアは応募多数で落選したけど。(ボランティアに落ちるって初めての経験でそこそこびっくりした)

 

旦那には、「運動嫌いでスポーツ経験もないのにスポーツイベントのボランティア?」みたいに言われたけど、実はこれが初めてじゃないんだな…

2005年に愛知でオリエンテーリング(山とか森の中で地図とコンパス片手に走って、個人もしくはチームでできるだけ早く、決められた地点を決められた順番で回って早くゴールするという北欧発祥のスポーツ)の世界選手権やった時もお手伝いに行ったよん。その前年の下見みたいなやつもね。

フィンランド🇫🇮のナショナルチームにつけてもらって通訳兼何でもお手伝い係みたいな雑用やってました。

書いてて思い出したけど、フィンランドチームにとんでもない選手がいたなあ。山でも方角がわかるようにみんなコンパス(今でいうスマートウォッチみたいな機器)腕につけてるのに、1人だけ使わへんの。

「なんでそれで方角分かるん?太陽の位置で分かるってことなん?」って聞いたら「なんで、って(笑)とにかく分かるよ。曇ってても雨でも分かる」ものすごく衝撃やった。彼はきっと体にコンパス埋め込まれてるね(絶対違う)

話がそれた。

 

その後、ご縁があってAJ宇都宮のスタッフ見習い(その頃は準会員という制度がなかった)にして頂いたんやけど、その業務が思ったより面白くて(これは他の活動とは掛け持ちできないだろうな)とすぐ分かったので他はほぼほぼやめとくことに。

コロナの影響で去年からできてないけど、今でも受けてるのは病院でのコンサートと単発の立硝員程度。

結果的にそれは正解だった。変に中途半端なことになるとみんなに迷惑がかかる。

 

もしロードバイクに興味なかったら、多分どこかよそのボランティアサークルに入ってたかもね。

病院の待合室に置いてある子供用のぬいぐるみの破れたのを縫ってお洗濯してきれいにしたり、子どもに絵本の読み聞かせとか、小中学生の学習指導ボランティアとか、善意通訳とかやってたんちゃうかな。わからんけど。

 

それまで土日家でスマホでゲームしてゴロゴロとかで空いた時間をほんま無駄に過ごしてたから、スタッフになって目的とかメリハリとかできて自分のためにもなったと思う。

昔より時間を無為に過ごすことが減った。それがボランティアをやるようになって良かったことの一つ。

これからも、無理なく自分にできることをやっていき、また視野を広めていきたいと思います。